「パリのスイーツ」と聞いて日本女性が思い浮かべるのは、やっぱり「ラデュレのマカロン!」ではないでしょうか? 世界の女性を虜にするラデュレは、実は創業150年を超える老舗パティスリーメゾン。そのラデュレとEDiTのコラボレーションによる1日1ページ手帳のカバーが誕生しました!
ラデュレとマークスのコラボレーションによるステーショナリーコレクション「スクレ・ラデュレ by マークス」がはじまったのは、ラデュレの日本上陸から2年後、2010年のこと。ラデュレの歴史をひも解きながら、甘美で優雅なラデュレの世界をのぞいてみましょう。
世界中の女性たちの憧れがつまったラデュレ
「ラデュレ」という響きは、まるで魔法の言葉のよう。パステルカラーのマカロン、宝石箱のようなボックスをはじめとした美しいパッケージ、色とりどりの愛らしいパティスリー……その名を聞けば、世界中の女性たちの胸はときめき、甘い幸福感が漂います。優雅で洗練されたインテリアでも知られるこのパリの老舗は、その歴史と伝統に甘んじることなく、代名詞とも言えるカラフルなマカロンをはじめ、お菓子の世界にたびたび革命を起こし、今では最もモードなパティスリーのメゾンとなっています。
ラデュレの歩みはサロン・ド・テの歴史そのもの
ラデュレの歴史は、1862年、パリのロワイヤル通り16番地に1軒のブランジュリーが誕生したことからはじまります。それは、マドレーヌ寺院の完成から20年、界隈に高級メゾンが集まってきた頃のことです。オーナーはフランス南西部で製粉業を営んでいたルイ=エルネスト・ラデュレ。現在もラデュレ本店が建つその場所で、ひとつの歴史が幕を開けました。
ところが、それから10年もたたない1871年に店は転機を迎えます。パリ・コミューンの混乱の最中に火災に見舞われ、再出発を余儀なくされたのです。パティスリーへと発展したのは、まさにこのとき。新しい店内は、パリのオペラ座やローマのシスティーナ礼拝堂と同じレリーフの技法で華やかに飾られ、のちにラデュレのシンボルとなるフレスコ画「パティシエ天使」も天井に描かれました。さらに20世紀初頭には、ルイ=エルネスト・ラデュレの妻のアイデアで、カフェとパティスリーを兼ねた新しいスタイルの店として再スタート。これがパリにおけるサロン・ド・テのはじまりとされています。そう。華やかなスイーツに囲まれて時を忘れておしゃべりを楽しみ、心を休める女性たちの夢の宮殿……ラデュレの歩みはパリのサロン・ド・テの歴史そのものだったのです。